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菅 順一
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エンサウンドスピーカー誕生の経緯
<エンサウンドスピーカー誕生の経緯>

わたしとスピーカーとの出会いは中学生頃パナソニックのCDWラジカセを買ったくらいから、その頃はよくB'zやアイドルソングなどを枕元で聞いておりま した

わたしは踊るうどん 永木と いう変わった名前のうどん店を25歳の時に開業いたしました。(永木は旧姓です)
(踊るうどんという名前で大阪や広島にもお店がありますが、関係ないです。踊るうどんという名前でお店を出したのは多分わたしが初めてで す)

開店の時、一日中お店にいるのだから、気持ち良い音楽を聞きながら仕事をしたいなということで、総額15万円くらいの単品コンポを買って主にJazzを流 しておりました

仕事はなんとか順調で、芸能人もよく訪れ、食べログ評価No1、愛媛県を代表するうどん店へと成長するのでした。
(嘉門達夫さんからは日本で一番美味しいうどん屋と県外のラジオで紹介してくださったことも)

そのお店が9年目に突入し、「ああ・・来年で10年 か・・・・」

そう思った時、十年一区切りと いう思い がよぎったのです。

(10年たったら、違うことを始めるのではないだろうか・・・・)

(婿養子になったから、妻の実家のある盛岡市に引っ越すのだろうか・・・)

(まったく新しい道を見つけて進むのだろうか・・・・)

そんな悶々とした時期が2ヶ月くらいありました。

「それではいけない!」 「悩みながら仕事をしてはうどんがまずくなる」

と心を立て直し、念を入れて再びうどんの仕事に取り組んだのでした。

(今に念を入れて仕事をしていれば、新しい風が吹くかもしれない)

私は当時、スピリットダンスという会を開いておりました。

それは、自由に音楽に身を委ねるダンスです。

誰かに見せるためのダンスではありません。

自己表現が豊かになり、人前で踊る恥ずかしさなど、

自分の閉じている内面を開放するダンスです。


それまでタイムドメインのYoshii9という筒形スピーカーを愛用しておりました。

自然な音色で、スピーカーが2本なのに、オーケストラ会場のように音が体を包み込み、
踊りの時に部屋のどこで踊っても気持ちよく聞こえるなど、すっかり惚れ込んでおりました。

うどん店なのに、このスピーカーの取扱店になっていたほどです。

しかし、体育館などで音楽を鳴らすとき、音量が足りないことと、重くて持ち運びが大変なことが不満でした。

そこで自分でスピーカーを作ってみることにしました。平成20年の2月頃です。

そのころ新聞やインターネットで見た水道管スピーカーを試してみました。

簡単に作れて音が良いと評判のスピーカーでタモリ倶楽部でも紹介されていました。

いざ作ってみると、筒が響いている音が混じってしまい、思った音色に鳴りませんでした。

中に吸音材を入れてないので、当然な結果ではあるのですが、あまりの濁った音に、

どうしたものか・・・ と、ふと足元を見たとき、

いつも使っているヨガマットがありまし た。

試しに面白がって、ヨガマットを巻いて筒状にして、
スピーカーユニットを乗せてみました。

すると、それまで聴いたことのないような、

自然なやさしい音色が鳴り響いたのです。


これが一番はじめに産まれた、ただヨガマットを丸めただけのスピーカーです。
ありえないほどシンプルな作りですが、これでも、驚きの音が出たのです。


初めて聞いたとき、思わず「あり得ない」と言い、
何度も自分の耳を疑ったのでした。

様々な人に聞いてもらっているうちに、音の良さが認められ

「これは大変な発明だから特許にすべきだ」と何人もの人に言われ るようになります

オーディオに詳しいからは、「絨毯に音が吸収されて響かないでしょう」「音が篭もるんじゃないか」と、よく言われましたが、聴いてみると、

「まさに目からうろこ」「何故これがいままで無かったのかわからない・・・」

「いままで自分で作ってきたものは何だったんだ!!」
ということになる のです。。。。

特許を申請することについて、少し悩みました


はじめは特許にせずに公開しようとも思っていました。

だって、なんの努力も投資もせずに、天から落ちてきたような発明だったのですから。

インドのヨガ聖者の本も読んでおりましたが、そのなかで、
数千年前のインドの学術書には、すばらしい研究の本でも著者名が書かれていない。

特許という考えが無かった時代。

全ての技は神から与えれたものだから、
自分の所有物にしてはならなというような考えがあったのです。

わたしはヨガ聖者パラマハンサ・ヨガナンダに習って、
瞑想の中で

「神様、わたしはあなたの手足となり、自分を世の中のために役立てて欲しい。」

と願ったこともあったのです。

ところが、当時従業員として働いていた方が、

ある朝、「わたし特許とる のが夢 だったのよ」

その一言で、特許を申請することを決めました。

その後、不思議なことが度々ありました。

特許を取るなら急いで取ったほうがいいと、

すぐに家に電話をかけ、「特許取ることに決めたので、今日の営業を休む よ」

と妻に伝えると、とても驚かれました。何故驚いたのかというと、

生まれたばかりの長女がいたのですが、ある人のアドバイスで、

「その子の産土神社に21日間連続でお参りに行くといいことがある よ。」

と聞いて、近所の産土神社に21日参りをしていたのです。

妻は21日間のお参りを終えて、家に着いたとたんに、

わたしの電話があったものだから、とても興奮したと言ってました。

これは、見えないところから
の応援を送ってもらってるようでした。

ちなみに、、、、
何かのひとつの宗教に入れ込んでいる人ではございませ ん
普通に神社仏閣を利用したり、超能力や、生活、健康の 話などで、
面白い話をする人を追っかけるのが好きなほうです。
小林正観さんや斎藤一人さん、中村天風さん、神との対 話、
パラマハンサ・ヨガナンダの著書の影響が大きい性格で す。

自分でその後特許を書き上げ、提出日となりました。

本来なら弁理士にお願いするところですが、なんだか面白半分に自分で書きました。

子供の頃の夢は発明家で、理数系は得意で、松山工業高校に進み、その知識が役に立ちました。

その提出日、従業員が日めくりカレンダーをめくると

「今日は耳の日よ!」

なんと3月3日だったのです。しかも、

女性の節句の日

なのです、何故、それが驚きなのかというと、今までのスピーカーは

硬く、重く、黒く、角張って、
音色も硬い


まさに男性性そのもの!

この柔らかいスピーカーは

素材が柔らかく、軽く、カラフル

丸く、音色も柔らかく


と、女性性そのもの

を示すスピーカーだったのです

1年の中で、この記念すべき耳の日、ひな祭りの日に特許申請できたことは、

またまた何者かの力があるのではないだろうか・・・・・

と思ってしまったのです。だから、なんとなく特許取れる気がしてきました。

普通は、スピーカーの特許といえば、

100年以上あるスピーカーの歴史の中で特許を取ることなど

しっかり勉強して知識を充分に蓄えてさえ、難しいことのような、

既に完成された技術のイメージがあり ますが、

わたしの申請した特許は、シートを円筒に丸めてスピーカーを

はめ込んだだけという、実にシンプルなものです。

スピーカーの歴史を完全になめているなと自分でも感じてました。

ところが、どんなに調べても、同じものがない、

あってもゴムホースにスピーカーを取り付けたものくらいでした。

巻いてある事により、ホースよりも容易に様々なサイズを制作できることができるので、実用性が高いのです。

通常は特許は審査までに数年かかるのですが、特許の早期審査というのをお願いして審査を急いでもらいました。

すると、「こんな似たものがある」というようなものが、特許庁から送られてきました。

それに対して、新規性を訴えなくては、特許とは認められません。

ところが、その似たものというのが、、、、ちっとも似てないのです。

しかし、きちんとした反論を書くにはどうしたものかと、弁理士の無料相談を受けに行きました。

(弁)これ、特許取れますよ。これをこうして、こうすればいいんです。

(私)すみません、あとは先生にお願いします

ということで、無事に特許を取得することができたのでした。

思えば、繰り返しになりますが、子供の頃の夢が発明家だったのです。

その夢が実現しました。

特許が成立する前に、うどん屋は後継者に継承することができました。

たとえ特許がとれなくても、この道を進んでゆきたいと思ったのです。

今はこの驚き、感動、安らぎの技術 を、

世の中に広めてゆくことが、使命だと感じています。


その後、さらに改良を施し、音質アップと大型化をすることもできました

プロ演奏家やオーディオショーでも大変高い評価もいだだくことができたのです



抱っこスピーカーが生まれる前の段階でのプレゼンテーションです
この動画はGoogleで「ペチャクチャナイト エンサウンド」で探すことができます

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